笑って 笑って 笑って

ふわとろは断じて許さないオムライスがV6について話すブログ

三池の描いた似顔絵は、不安定な長谷川を救うためのツールだ


はじめまして、こんにちは。デミグラスソースより断然ケチャップ派、オムライスです。



さて、『TWENTIETH TRIANGLE TOUR 戸惑いの惑星』が発売されたわけですが、フラゲした昨日は感動のあまりDVDを抱いて寝ました。



嘘です。



枕元に置いて数分おきに、まるで隣で眠る恋人の寝顔を見つめるがごとく何度も何度もその存在を確認していました。



だって、昨年の2月に観劇して「もっと見たかった」と帰りの飛行機でガチめにすすり泣いた、あの舞台が映像化されたんですもの。



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おかえり……(青田典子)



くだらない話はこのくらいにして、本題です。
あの頃からずーーーーーーーっと考えていました。





ラストのシーンで三池が描いた長谷川の似顔絵には、何が描かれていたのか?ということについてです。





たくさんの人の考察を読んでも尚、私は観劇した当初から、自分の意見を変えることはありませんでした。



あの似顔絵には、阿修羅が描かれていたのではないか、と。



以下、理由です。




☆二人が笑っていない

似顔絵を描いている最中、三池は一度も笑っていません。
真剣な表情をしているようにも見えます。ですが、何かを怖がっていて、それをかき消すために、……私にはそう見えました。



ところで、キャンバスを覗き込んだ由利が、薄く笑みを浮かべて三池にこんなことを言います。



「お前、それは……」



いやいやいや、阿修羅だったら「お前、それは……!?」とか「三池、お前どうしてそんな風に描くんだ!?」とか言ってもいいんじゃないの?と、思うかもしれません。



ありえないのです。



だって、由利は三池の描いた阿修羅を"直接"見てはいないから。



研究室のシーンで三池の描いた絵を掲げて「これはあなたが描いた物ですね?」と言った由利は、長谷川が書いた小説の中の由利です。
ジャズバー33のシーンと、由利の妹が書いた宛名のない手紙を読み上げるシーンで耳にしたことはありますが、目にしたことはありません。



由利の「お前、それは……」は、その笑みの通り「なんだよ、その絵。やっぱり心で描いているだけあって、全く似ていないじゃないか」というニュアンスを含んでいたのではないでしょうか。



そこで、長谷川です。



似顔絵に描かれている最中は笑っていますが、三池に絵を手渡され、それを見た瞬間の、あの表情。
正直、めちゃくちゃ怖かったです。

ゾッとしました。



長谷川は知っています。



阿修羅に描かれた人間が、どうなるのかを。
手紙の代筆をしている時、無意識の惑星をさ迷っている時に、彼女の目を通して長谷川は見ているのです。



そして皮肉にも、三池と彼女のやりとりで知ってしまいました。





☆運命は変えられる

この舞台のために書き下ろされた新曲『Chenge Your Distiny』の歌詞にもある「次こそ運命に委ねない」という歌詞です。
オープニングでも歌われていたあの曲の意味が、三池と彼女の出来事を経てから聴くと、とても特別に思えました。
劇中、彼女の書いた宛名のない手紙に「もう二度と出会えない運命だった私たちが、……奇跡が起きたのです(要約)」とあります。



Chenge Your Distiny=運命を変える=奇跡



長い年月の果てに起きた奇跡を経験した三池だからこそ、自分の信じるままに筆を取ったのではないでしょうか。



だって、運命は自分の手で変えることができるから。



手紙の代筆人をして幽霊のようになってしまった、不安定な、小説という形を通して無意識の中をさ迷っていた長谷川を「阿修羅に描かれれば死ぬ」というジンクス通りに、死なせたのです。



通り過ぎるだけの日々にサヨナラをするために、死なせたのです。



「これが僕だよ」



阿修羅の意味を、運命は変えられるという事実を知った長谷川だからこそ、三池の描いた似顔絵を受け入れることができたのではないでしょうか。





長谷川は救われたと、私は信じたい。